Mercedes-AMGを形づくった一台

ハンス-ヴェルナー・アウフレヒト(Hans Werner Aufrecht)とエアハルト・メルヒャー(Erhard Melcher)というふたりの情熱的なエンジニアによって興ったAMG。
1960年代後半、モータリゼーションが成熟へと向かうヨーロッパを舞台に、その名はコンペティションの現場で存在感を高めていきました。
そして1971年、〝赤豚〟の異名を持つ一台が、その評価を決定的なものとします。

伝説の“赤豚”と世界への進出

1960年代後半のヨーロッパは、クルマが単なる移動手段から〝選ぶ楽しさ〟へと価値を移し始めた時代でした。
大衆車の普及を背景に、各メーカーは性能やデザインで個性を競い、スポーツサルーンやスーパーカーといった新たなカテゴリーも台頭。
技術革新とブランド志向が交錯し、現在へと続く自動車文化の輪郭が形づくられていきます。

そうした流れのなかで、着実に存在感を高めていったのがAMGです。
彼らが手掛けたメルセデス・ベンツ300SE(W112)がツーリングカー選手権で成果を挙げていたことは前回触れたとおりですが、
その評価を決定づけたのもまた、レースの現場でした。市販車をベースとしながら、いかに速く、いかに確実に走り切るか。
その問いに真正面から向き合う姿勢が、やがてAMGの個性として輪郭を帯びていきます。

転機となったのは1971年。
スパ・フランコルシャン24時間レースに投入された「300 SEL 6.8」、通称〝レッド・ピッグ(赤豚)〟は、クラス優勝にとどまらず総合2位を獲得します。
ベースは現代のSクラスに通じる大型サルーン。
そのベースとなった6.3ℓV型8気筒エンジンを6.8ℓまで拡大し、最高出力428ps、最大トルク620Nmという当時としては破格の性能を備えていました。

出力の引き上げに合わせ、足まわりや冷却系、さらには軽量化も含めた車両全体の最適化が図られていた点も見逃せません。
単なるエンジンチューンにとどまらず、クルマ全体を一体として仕立て上げる手法は、後のAMGの核となる思想をすでに示していました。
実際、この頃から顧客の要望に応じた個別の仕様変更や仕立て分けも行われており、現在のオーダーメイド的な発想の萌芽を見ることができます。

ハンス・ヘイヤーとクレメンス・シッケンタンツが操る真紅のボディをまとった巨大なサルーンが、軽快なスポーツカーと伍して周回を重ねていく。
その光景は観る者の記憶に強く刻まれ、AMGの名を一気に広める契機となります。
この一戦を境に、同社はチューナーの枠を越え、明確な〝ブランド〟として認識されるようになっていきました。
いわばこの一台が、AMGという存在の輪郭を世界に示した象徴的な出来事だったといえるでしょう。

その流れを受け、1976年にはブルクシュタルの工場からアファルターバッハへと拠点を移転。
エンジンのみならずクルマ全体のカスタマイズを本格化させることで、「自分だけのメルセデス」を求める顧客層を取り込みながら、現在へと続く事業の基盤を築いていくことになります。こうしてAMGは、単なる性能向上の担い手から、個性と価値を創出するブランドへと歩みを進めていったのでした。

AMG東京世田谷誕生の経緯

1971年の一戦を契機に飛躍の足がかりをつかんだAMG。その思想と情熱を、より立体的に体験できる場として誕生したのが「AMG東京世田谷」です。
それまでAMGモデルはメルセデス・ベンツ正規販売店内の“AMGパフォーマンスセンター”で展開されてきましたが、
ここはそうした枠組みから独立した、Mercedes-AMGとして世界初の専売拠点となります。

 

施設内に足を踏み入れると、サーキットのターマックを想起させるフロアが広がり、パドックを思わせる空間構成が印象に残ります。
ブランドのルーツであるモータースポーツの空気感を、視覚的な演出として落とし込んだ設えです。
さらにエンジンサウンド体験や専用アイテムの展開も用意されるなど、単に車両を並べるだけのショールームとは一線を画す、
Mercedes-AMGというブランドの成り立ちと現在地を五感で確かめることのできる拠点といえるでしょう。

この拠点が日本に誕生した背景について、当時のMercedes-AMG最高経営責任者トビアス・ムアース氏は「日本市場の成長と、お客様の高いロイヤリティが大きな理由です。
年に2回、販売店の皆さまと議論を重ねるなかで専売拠点というアイデアが生まれ、とりわけシュテルン世田谷の板東徹行社長のリーダーシップと、このエリアの可能性に大きな魅力を感じました」と語っています。
成熟市場でありながら2桁成長を続けていた日本、そしてブランドへの理解が深い顧客層の存在が、世界初の専売拠点をこの地へと導きました。
「日本のお客様の信頼に応える場をつくりたかった」という言葉どおり、ここは単なる販売の場ではなく、ブランドと向き合うための拠点として
位置づけられています。

 

ブランドの思想を空間として具現し、顧客との関係をより深めていくこの拠点は、日本市場をロールモデルとするグローバル戦略の起点でもあります。
「ここでの成功は、今後ほかの地域にも広げていきたい」との構想どおり、その後Mercedes-AMGブランドセンターは世界各地へと展開し、
現在では5ヵ国12拠点に広がっています。世田谷から始まったこの取り組みは、確かな広がりを見せてきました。
そうした背景を踏まえて足を運べば、この場所が単なるディーラーではなく、ブランドの思想と熱量が息づく空間であることに、自然と気づかされるはずです。

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